Setagaya

大東京に住みついて一年が

経過しようとしている。

振り返れば仕事に忙殺され、

東奔西走でバッタバッタであった。

確かに考えてみれば、

美容学校を経て服を売っているのだから

ごく当たり前な事である。

1年前の自分に現状を伝えた時、

首は縦に振ってくれると信じている。

 

東京で行き着いた世田谷という街は、

極端に言えば富裕層と低賃金労働者の

吹き溜まりのような所で

非常にカオスである。

 

築50年ほどのアパートの横に

20階建の分譲マンションが出来上がるように。

 

だがそこが相見える事は早々ない。

お金がなければサイゼリアへ行き、余裕があれば格好の良いレストランへイタリアンを食べにいくからである。

 

現状僕は、サイゼリアのメニューは全て言えるだろう。

 

 

昭和女子大学でお馴染みの

三軒茶屋 は言わずと知れた呑み屋と

古着屋の街である。

深夜まで空いている古着屋も多く、酔っ払いの声を聞きながら服を見ることもできる、

なんとも幻想的である。

 

その街に行きつけの沖縄料理屋がある。

賑わっている商店街から少し住宅街に向かったところにひっそりとある。

いわゆる隠れ処のような、そんな感じである。

沖縄出身のマスターの作る本場の味は毎度

変わる事なく安定していて、

言うまでもないがめちゃめちゃ美味い。

梅酒や泡盛琉球ガラスで提供され、

曲は沖縄の民謡が

これでもかとばかりに流れている。

飛行機に乗らずして、沖縄に行けてしまう。

値段に関しては東京ではあるが、

たまの休日前には、常に候補として存在する。

 

僕が週5日通っている二子玉川

最近都市開発が進みつつある、

オシャレセレブタウンのような

イメージの人もいるだろうが、

それは表面上の、つまり駅前付近の

一角に過ぎない。少し入れば

安くてディープな呑み屋もあれば、

昔から開発の進んでない

少しくたびれた商店街がある。

 

昼休憩に昼食をとりに

いつも向かう中華料理屋が

あるのだが、随分とそこには

お世話になっている。

換気されてないのかと思う店内に

油ぎった床は、フィギアスケート大会でも

開催できそうなくらいである。

メニューはパターン化されていて、

ほぼ既存のメニューの

組み合わせが変わるだけである。

逆に飽きる事はない。

スーパーで買ったであろう

ペットボトルの水が

そのまま出てくるのにも

愛着が湧いてきている。

 

無茶苦茶に感じるだろうが、

いつもなぜか足はそこへ向かう。

 

今回の記事に軸となるテーマは

特に存在しないのだが、

今自分の知る世田谷という街の、

端的ではあるが紹介したかったのだ。

 

本当はワンカップ片手に

語り明かすぐらいの勢いで

綴りたいところであるが、

文庫本を発行できる量になってしまう為

今回は割愛したいと思う。

 

機会を改めてまた話すとしよう。

て事で、シリーズ世田谷第1幕これにて閉幕

 

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街、風吹く
いつかの路地裏 あの子は走り回る
僕も走れたら

歩いてみたら/never young beach

 

セロリ

日本を二極化するなら確実に

西日本と東日本という括りであろう。

 

育ってきた環境が違うから

好き嫌いは否めない
夏がだめだったり

セロリが好きだったりするのね

 

SMAPのセロリにもこのようにある。

 

生粋の西育ちの僕は東の文化に少々

頭を悩まされる事がある。

それこそ育ってきた環境が違うから

仕方ないことであるのだが、

価値観の違いがとことん

東の人には合わない事が多い。

 

会話してる中で、

冗談で申した事も本気で

捉えられたり、普通に話してるつもりでも

喧嘩をしているように

聞こえる事と言われる事もある。

僕としては至って普段通りなのだが、

不快な気持ちにさせてしまうみたいだ。

無論悪気など米粒ほどもないのだが、

難しい。

ただ現状東京で生活している以上は

郷に入れば郷に従え なのだろう。

じゃけえ や せやから は、だから。

じゃろ や やろ は、だろ。

たわんと言っても取ってくれることはない。

 

 

もはや他国の言葉を話している様な

気分である。

別に他文化を否定してるわけではない。

表現性豊かな日本の方言は

いい意味でも悪い意味でも

幅が広い。

故に伝わらない事も多々あるだろうが

 

みんな違ってみんな良い じゃないかなって

僕は思う。

セロリが食べれたり、食べれなかったり、

細かいことでいうと家庭環境まで

人は人と違う。

それは仕方ない事。

世の常の1つである。

逆手に取れば、だから面白いんだと思うし

理解できないから理解したくなる

支離滅裂であろうがそんな感じ。

 

 

ちなみにロンドンに行った

大好きだった師からの

送別品は セロリ だった。

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悩みはつきないな でもそれくらいのほうが
君の気持ちが全部 わかるんだ

loveless/くるり

 

 

 

 

シトラスと大阪

「音」つまり聴覚から得る情報が

群を抜いて脳裏に深く刻まれると思っていた。

例えるなら学生の頃聴いてた音楽を

久々に聴いて学生時代を思い出したり、

帰省時に地元の人たちの

使う方言を久々に聴いて、

帰ってきたなと感じさせてくれる、

アレである。

おそらく音は記憶に対して

かなり影響力はあるのだろう。

(実際に僕はよく感じる)

 

だがそれよりも

深く何かを思い出させてくれる

感覚がある事に最近気がついた。

 

それこそが「匂」つまり嗅覚である。

確かにこれには個人差はあるだろうが、

僕の身体では

これ以上にノスタルジックな感情に

誘い込まれる感覚はない。

 

普段よく行くデパートがあるのだが、

そこの5階に家庭雑貨のフロアがある。

そこのとある雑貨屋に

1つ見覚えのある芳香剤があった。

大阪時代の我が家で

使っていた芳香剤がそこにあった。

夏っぽい爽やかな

シトラス系の芳香剤だったのだが、

それは置いといて、

その匂いを嗅いだときに、

台風時の太平洋の大波を

直に食らったような、

そんな衝撃を脳に受けた。

 

その波に乗せて

8畳の長方形のワンルームの日々が

次々と彷彿された。

近くのローソンで中国人並みの

爆買いをキメて

朝までどんちゃん騒ぎをした事や、

その頃付き合ってすぐ別れた彼女の事、

芸術祭に向けて徹夜で衣装を

作りつづけた事、

そしてなにより

学校、バイト、学校、バイト

を繰り返していた忙しくも楽しい日常が

昨日の事のように蘇った。

たった1つの芳香剤で、である。

 

もはや鼻なんてこの為に

ついてるんじゃないかって思うほどに、

匂いと記憶には深甚なる結びつきがあるのだ。

 

今使ってる香水も、

部屋に染み付いた木造建築の

独特な匂いも、

記憶の1つとして

脳の奥底にセーブされる。

 

過ぎ去った頃にまたふと思い出すのだろう。

 

 

とりあえず今という時間を思い出した時に

恥ずかしくないように日々を全うしよう。

そうすればいつか「いい思い出」になるはず。

 

あの芳香剤まだ売ってるかな。

また近々行こっと。

 

 

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狭く深く

 

今現在、都内で某ファッションブランドに勤務してるわけだが、そもそも何事に対してもあまり深く知識を追求するタイプではなかった。

というのも今の若者の特徴として、広く浅く知識を得ようとする傾向にあるらしい。(例外もいるだろうが)

つまり、その一般的な若者の1人であったが為という理由にしておこう。

仕事柄ファッション業界で例えるなら、

ブランドの歴史然り、デザイナーの名前なんて

ブランド名で知るところが全てでそれ以降にまったく興味がなかった。

しかしながら、ファッション業界に足を踏み入れた以上、以前の様にはいかない。

ブランドというものがどこの国から如何様に派生し、どのような経歴を辿って現在に至るのか、それを知る必要があったのだ。

そこで初めて、服というものの本質に触れることができた。

表面しか見てこなかった人生が故に、

かなり興味深い内容であった。

 

1番興味深かったのは、世の中に数多存在するブランドというのは歴史的な影響を受けているケースが多いという事だ。

グッチは戦前のイギリス貴族の影響を受け、

リーバイスはゴールドラッシュ時代に

金鉱で働く人達の要望を元に生まれ、

のようにである。

 

何気なく着ている服に装備されている1つ1つのディテールにそれぞれきちんと意味がもたらされてることも初めて知り、深く感銘のようなものを受けた。

 

人工知能の発達でますます便利になっていく世の中で、冒頭で述べたような傾向にこれからも若者の思考は偏りを増すのかもしれないが、

逆考えれば今までなら足を運んで先人から教えをこわないと得る事ができなかった知識を手軽に調べれる時代になったとも言えるだろう。

 

狭く深く、それでもいい、

何か自分が良いと思った世界を

掘り下げてみれば、見え方はかなり変わると

自信を持って言える。

コレが好きと公言するのはまずそこを知ってからが順序というものではないだろうか。

 

なんて捻くれた性格になるのも

職業柄なんだろうな。

最低限服を売る仕事をする人は

そうであってほしいと思いながら。

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ブランド着てるやつ もう Good night
Mで待ってるやつ もう Good night
頭だけ良いやつ もう Good night
広くて浅いやつ もう Good night

STAY TUNE / Suchmos

 

 

 

 

 

 

 

 

ルーティーン

休みの日は決まって12時頃に目がさめる。

起きて顔を洗うのと髪の毛を濡らすのを

同時にシャワーで行い、

ドンキホーテでまとめ買いした

布切れのようなタオルで顔を拭き、

鏡の前に座る。

そして歯磨きをして、Aesopの化粧水を塗り、

ありきたりな整髪料をつけ、

センターで分ける。

それをドライヤーで乾かしながら

今日の服を即興でキメる。

ちなみにだが、

この工程の間は常に音楽が流れている、

最近はBeatlesAbbey Roadという

ベタな所を垂れ流すことにハマっている。

服然り、髪型然り、その日その都度の気分で

変わるものは音楽からの影響を

とてつもなく受ける。

音楽はとても重要なのだ。

 

そうこうしてるうちに40分程が経過、

これが休みの日の朝のルーティーンである。

いたってシンプルで、

ごく一般的な男性の朝の流れだろう、

朝からjazzを聞いて、コーヒーを飲んで、

なんてブリティッシュな朝は滅多になく、

満員電車で通勤しているサラリーマン

のような

慌ただしい朝が9割を占める。

(別に急いでいるわけではない)

 

全てにおいてルーティーンというものは

自分には不可欠だと思っている。

昼休憩はセブンイレブン

そぼろ弁当を買い、食堂で決まった席に座り、

イヤホンを装着して、

ローリングストーンズを聴きながら、

ブリティッシュメイドのブログを読むか

WWDのコレクション情報を

チェックしながらそぼろ弁当を貪り食べる。

これらも全て習慣された、

いわゆるルーティーンなのだ。

よく他のものも食べなよとか、

寝たりとかしないの?とか聞かれるのだが、

違う、

ルーティーンを崩すことが怖いのである。

僕にとっては

朝起きて顔を洗って歯磨きをして、

というのと同じことなのだ。

それをしないと落ち着かないというか、

タバコに近い、依存性みたいなものに

支配されているのだろう。

習慣とは恐ろしいものだ。

 

だがそれをすることで

日々を健康に全うできるのであれば

それに価値はあるのではないだろうか。

医学的観点からすれば

即入院の様な生活をしているわけだが、

なんら体に今のところは

支障はない。

 

ないはず...

 

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ギターケース抱えて歩いた駅までの道の途中 振り返った笑顔
時は流れて 夢は破れても 変わらない情熱を歌いたい

愛してやまない音楽を/andymori

 

 

 

ハーゲンダッツ

最近までこの季節にアイスを食べたがる人の気持ちが全く理解できなかった。

そもそも体を冷やすために生まれたものを何故凍てつくこの季節に口にする必要があるのか、そんなことを思っていたが、案外悪くないと、最近は思う。そうつまりハーゲンダッツは年中美味い。

 

この時期ほど地球の公転を恨むことはない。

四季折々その都度季節というものを楽しむ風習があるが、それを否定したいわけではない。

寒すぎる、それに尽きる。

冬にしか楽しめない事があるのは重々承知しているが、限度ってものがあるだろう。

異常とも言える寒波に肩身の狭さのようなものを感じるのは僕だけじゃないだろう。

 

日本の風習の一つに冬至というものがあるのは存じ上げていると思う。

カボチャの食べ、柚子風呂に浸かり、無病息災を願う、日本の伝統行事の一つである。

子供の頃、お風呂に浮いてる柚子を食べて、

父に笑われていたのを覚えている。

今ならなぜ笑われていたのか理解できる。

そして止めて欲しかった。

 

東京では仕事場から家までの間で暖房の効いていない空間にいる時間は10分ほどではあるが、

それすらも耐え難い。

最近はチャイティーを最寄りのファミリーマートで買っていく。

どうやら生姜(ジンジャー)が入っているから体が温まるらしい。それ以外にもかなりの効能があるらしく、それを聞いてからは水の代わりに飲む勢いだ。

 

まだまだ寒い時期は続くのだろう。

体調管理を怠らないようしないと、なんて社会人の意識を持つようになった。

成長したのだろうか。

確かにもう柚子風呂の柚子を食べる事はないだろう。

分からないが、

 

それにしてもハーゲンダッツは美味い。

 

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真夜中

あの頃、真夜中に聴こえる音なんて

鈴虫の鳴き声か、

風に揺れる木々の奏でる効果音だった。

 

今日この瞬間に聴こえる音は、

国道を這う鉄の塊の走行音か

酔っ払いの吹っ切れた楽しげな笑い声。

1つの林檎に針を1000本刺したような

密度の街で

人工的な音以外が聞こえてくることは

ほとんどない。

こっちにきて1番最初に苦労したのは

これじゃないだろうか。

葉っぱの擦れ合う音が子守唄だった

からしたら、

あまりにも酷な案件だった。

 

だが、このAlexandrosの真夜中の

ような環境に、

嫌悪感を抱きつつも、

心の何処かで都会を感じて、

優越感のようなものに

浸っている自分もいた。

ああ、東京で暮らしてるんだなって、

若かりし頃抱いてた夢の世界が現実に

なった今、

この感情は必然的な事である。

 

だんだん都会に適合していくのだろうか。

夜は長い。

 

 

 

 

 

 

 

真夜中/Alexandros

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