夢見る少女じゃいられない

小学生の自分は、20歳の自分宛に

書いた手紙に

今はサッカー選手になってるの?

と綴っていた。

 

すまないけど、サッカーは中学までしか

やってない。

 

 

今自分が全うしているつもりの仕事であったり

生き方を見たときランドセルを背負った僕は

どう思うのだろうか。

 

少なくとも胸を張って今の自分という生き様を

話す事はできないだろう。

それはサッカー選手になれなかった事が訳ではなく、

今の僕は何もなし得てないからである。

 

18歳で故郷を飛び出し、都会で生活を始めて、

上京すれば自然と何かを感じ得て勝手に成長

するんだろうと、学ぶ事を軽視していた。

だから思い返せば、この1年で自分は”なにが

成長したのか”をハッキリと声にする事は

できない。

おそらく、東京で生きている自分であったり、

名門ブランドで仕事をしている自分に

酔っていたのだ。

よく考えれば自分1人で出来ることなんてなにもないのに。

ブランドの看板を下ろした時、SNSをやめた時、社会的に僕という人間の価値は

なにも残らない。

 

断っておくが、別にナーバスになってるわけではない。

三者目線で自己分析をした結果である。

 

人は音楽やらファッションやらの、

いわゆるサブカル的な面での知識量に

評価をしてくれる事はあるが、それは

ただの”趣味"に過ぎなくて、

それは僕ではなくても他の何かからでも

得ることはできるものなのである。

 

そう考えた時現状を打開するには

”唯一無二の個人”にならなければならない。

それは、自分の為でもあり、家族や、

自分を良く見てくれている人の為にだ。

 

東京という街に来た意味と

自分にしかできない何かというのを

きちんと加味した上で

見つめ直さないといけない。

 

 

大学に行かず専門学校へ行き、なのに

その専門職にもつかないという、

崖っぷち綱渡りコースを選んだ宿命であり

普通に生きていても、それはやや下り坂

を進んでいるだけであって、

道を変えなければ

頂上にたどり着く事は

物理的に不可能なのである。

やれるかわからないとかやるべきなのかとか

そんな迷走していてはこの樹海すらも

抜け出す事はできないのだ。

 

金銭、人脈、知識、それら

目をそらす事はできない現実を、

睨みつけて生きていかなければならない。

 

 

夢見る少女じゃいられないよ。

 

 

 

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