独りっ子

この季節になるとそこはかとない不安が木枯しに乗って体の奥まで吹き荒らしてくる。

何がそれを生み出しているのかなんてのは、ブラックホールの先がどうなっているかと同じくらい取り止めのない話なのである。

だからこそ人はこの哀愁やノスタルジーに浸り切ったこの季節を好むのかもしれない。

大体の事はちょっと切ないくらいが丁度良いのだ。

 

ルームシェアを初めて1年半ほど経過した。相変わらず人生ゲームの最初の職業選びを終えた辺りを、1マス進んでは1マス戻るような生活を続けているのだが、変わったこともある。

新しく友人が引っ越してきた。11畳ほどあるリビングの一部を明け渡し、彼はそこにベッドを設置して生活している。かれこれ4年ほどの仲だから、特に気になることは無いのだが、リビングが少し狭くなり、生活感が増したことが些か気になる。

生粋の1人っ子性分の僕は、時として孤独が欲しくなる(去年も似たようなことを書いた気がする)。僕が求める孤独とは村上春樹の描く空虚な都会的描写やエドワードホッパーの描くナイトホークスやオートマットを想像してもらえると分かりやすいのかもしれない。あるいはキースジャレットのメロディ・アット・ナイト ウィズ・ユーを聴いて貰えば言わんとしている事が伝わるのかもしれない。いや、伝わらないだろう。

東京は人が多すぎるが故に、地方特有の人と人との密接感が無い。故に1人が独りとして成りたっている。

マクドナルドに行って知り合いに会うこともなければドンキホーテに屯させられる事も無い、もっと言えば横に住む人の顔すら正確に把握しなくて良いのだ。ご近所付き合いなんてのは弊害の方が多いと、小学生の頃には気づいていたから、今はそういったストレスに苛まれることは無い。勿論、悪い事ばかりではない。父を早くに亡くした僕を息子同然に育ててくれた幼馴染みの家族や、いつも僕の近況を気にしてくれる土井さんには、今も感謝しきれない。だがそれを上回る勢いでリアルなご近所物語はシビアなのである。

 

久しぶりに1人になった。都営大江戸線森下駅から歩いて5分ほどのモスバーガーの2階席に腰を下ろした。

意味を成していない間接照明に、それを補助するように光が差し込み暖かく乾いた風が窓の隙間から一定のリズムを刻みながら店内を包み込む。いかにもな秋の日曜日である。聞いたことないジャズがさりげなくかかっている事には数分経って気がついた。ピアノトリオなのは何となく分かるが、誰の演奏なのかは分からない。シャザムでも拾えない辺り、相当マニアックな選曲なのだろう。まだまだ知らない事が多い。

次に転居するならこの街が良い。閑静な住宅街に必要なだけの飲食店と日用品売り場はお洒落を押し売りしない。故に下北沢や高円寺などにある特有のサブカル臭に辟易する事は無いのだ。

駅の近くには隅田川が流れている。その河川敷には整備された綺麗なアスファルトに等間隔で木のベンチが備え付けられている。他には何もない。ここを行き交う人は最新のトレーニングウェアでランニングをしているか、犬を連れて決まった散歩コースを行き来している人がほとんどだ。ベンチに腰掛けて対岸を眺めると、新旧高低様々なビルがとても他人行儀に聳え立っていた。

また少し歩くと次は隅田川大橋を手前に月島のセンチュリーパークタワーが奥に見える。オレンジと青に塗られた外装は周りに溶け込む気がなく、実に堂々としていた。

そして夜にはこれらが艶やかな夜景に変わる。水面にビル達のネオンが反射し、それを船が描く無数の波紋が蜃気楼のようにモヤモヤと歪め、異次元へワープできそうな可能性を示唆する。今いるここは現実なのだろうか。もしかすると此処はすでに幻覚の中であり、もう二度と外に出られないのではないかと感じた。僕は揺れる光を眺めながら自分を探した。だがそこに僕は見当たらなかった。

やけに冷えた風がシャツの隙間から肌を締め付けた。僕はもう一度歩き始めた。

気づくと水天宮前駅辺りにいた。森下とは変わり、江戸の香りを残した繁華街は色っぽく艶やかだが、モノトーンに僕の目には映った。直帰を躊躇うサラリーマンにお酌する割烹着姿の女将さんや、敷居が高すぎて奥が見えない寿司屋は、さながら昭和映画のワンシーンの様だった。男なら山葵は醤油に溶かすんじゃなくてネタに乗せて食べるんだ、と書き残した池波正太郎の男の作法を思い出した。初めて読んだときは、理屈臭い変な話だと思ったが、こんな場所ではきっと山葵はネタに乗せて手で食べたいと思う。夜風がさっきとは違い、出汁の香りの含んで僕の周りをウロウロとする。行き交う人はそれぞれの目的の為に足を進めていた。

しばらくして新しく同居している友人から連絡が来た。「今日は鍋を作ろうと思うけど、お前も食べるか?」

僕はポケットに携帯をしまい込み、妙に暖かい風を背に受けながら駅の階段を駆け下りた。

 

追伸

人は島嶼にあらず。たとえどれだけの孤独を求めたとしてもこの世界から完全に乖離する事はできはしないのだろう。

 

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