子ども

時刻は0時を回り、季節が塗り替えられていく様を、ベッドに横たわり外から聞こえる鈴虫の音を聞きながらこれを書いている。

 

目を瞑り実家の縁側を思い出す。

庭に面した2畳ほどのそこには、丸くなればすっぽりと収まることのできるシングルチェアと、古くから親しまれているカラオケ喫茶にあるような、くたびれた革のソファが、向かい合うように置かれていた。朝はそこで起き抜けの祖父と祖母が、僕が生まれた日に植えられたハナミズキを眺めながら談笑していた。何を話しているのか分からないが、2人の表情はとても柔らかかった。昼には近所に住む幼馴染の祖母がそこにやってきて、季節ごとの野菜について深く語っていたが、僕は彼女の額のシワを数えながら適当な相槌を打っていた。

幼い頃、父と母と車でよく日帰りの遠出をしていた。高松にうどんを食べに行ったり、山陰に海を見に行ったりしていた。初めて行くところも何度か行った事があるところもあったが、高速道路に乗って別の街に行く事は、まだ幼い僕はとても楽しいものだった。決まって最初からエンジン全開な僕は、無論燃料が持つわけもなく、帰り道は夢の中にいた。しかし時折、ふと目が覚める事があった。ふわふわとした意識の中を浮いていると、父と母の話している声が聞こえてきた。僕が眠ったことで一時的に子守から解放された2人は、深く大人的な会話をしていた。

僕はその会話をこっそりと聞くのがとても好きだった。政治の話、仕事の話、友人の話、どれも僕には理解できない内容だったが、静かにそれを聴いていると自然と眠りに落ちていた。

 

帰宅して縁側のくたびれた革のソファで横になり、冷えた風と鈴虫の音を聞いていると、また眠りについていた。気づくと母がそっとタオルケットをかけていた。微笑むその声を僕は、聞こえないフリをした。

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何もない休日に 寝間着のままで
パン焼いて テレビ見て 玉子をのせて
ぼんやりと過ごすのよ

 

子供/星野源

 

 

 

独りっ子

この季節になるとそこはかとない不安が木枯しに乗って体の奥まで吹き荒らしてくる。

何がそれを生み出しているのかなんてのは、ブラックホールの先がどうなっているかと同じくらい取り止めのない話なのである。

だからこそ人はこの哀愁やノスタルジーに浸り切ったこの季節を好むのかもしれない。

大体の事はちょっと切ないくらいが丁度良いのだ。

 

ルームシェアを初めて1年半ほど経過した。相変わらず人生ゲームの最初の職業選びを終えた辺りを、1マス進んでは1マス戻るような生活を続けているのだが、変わったこともある。

新しく友人が引っ越してきた。11畳ほどあるリビングの一部を明け渡し、彼はそこにベッドを設置して生活している。かれこれ4年ほどの仲だから、特に気になることは無いのだが、リビングが少し狭くなり、生活感が増したことが些か気になる。

生粋の1人っ子性分の僕は、時として孤独が欲しくなる(去年も似たようなことを書いた気がする)。僕が求める孤独とは村上春樹の描く空虚な都会的描写やエドワードホッパーの描くナイトホークスやオートマットを想像してもらえると分かりやすいのかもしれない。あるいはキースジャレットのメロディ・アット・ナイト ウィズ・ユーを聴いて貰えば言わんとしている事が伝わるのかもしれない。いや、伝わらないだろう。

東京は人が多すぎるが故に、地方特有の人と人との密接感が無い。故に1人が独りとして成りたっている。

マクドナルドに行って知り合いに会うこともなければドンキホーテに屯させられる事も無い、もっと言えば横に住む人の顔すら正確に把握しなくて良いのだ。ご近所付き合いなんてのは弊害の方が多いと、小学生の頃には気づいていたから、今はそういったストレスに苛まれることは無い。勿論、悪い事ばかりではない。父を早くに亡くした僕を息子同然に育ててくれた幼馴染みの家族や、いつも僕の近況を気にしてくれる土井さんには、今も感謝しきれない。だがそれを上回る勢いでリアルなご近所物語はシビアなのである。

 

久しぶりに1人になった。都営大江戸線森下駅から歩いて5分ほどのモスバーガーの2階席に腰を下ろした。

意味を成していない間接照明に、それを補助するように光が差し込み暖かく乾いた風が窓の隙間から一定のリズムを刻みながら店内を包み込む。いかにもな秋の日曜日である。聞いたことないジャズがさりげなくかかっている事には数分経って気がついた。ピアノトリオなのは何となく分かるが、誰の演奏なのかは分からない。シャザムでも拾えない辺り、相当マニアックな選曲なのだろう。まだまだ知らない事が多い。

次に転居するならこの街が良い。閑静な住宅街に必要なだけの飲食店と日用品売り場はお洒落を押し売りしない。故に下北沢や高円寺などにある特有のサブカル臭に辟易する事は無いのだ。

駅の近くには隅田川が流れている。その河川敷には整備された綺麗なアスファルトに等間隔で木のベンチが備え付けられている。他には何もない。ここを行き交う人は最新のトレーニングウェアでランニングをしているか、犬を連れて決まった散歩コースを行き来している人がほとんどだ。ベンチに腰掛けて対岸を眺めると、新旧高低様々なビルがとても他人行儀に聳え立っていた。

また少し歩くと次は隅田川大橋を手前に月島のセンチュリーパークタワーが奥に見える。オレンジと青に塗られた外装は周りに溶け込む気がなく、実に堂々としていた。

そして夜にはこれらが艶やかな夜景に変わる。水面にビル達のネオンが反射し、それを船が描く無数の波紋が蜃気楼のようにモヤモヤと歪め、異次元へワープできそうな可能性を示唆する。今いるここは現実なのだろうか。もしかすると此処はすでに幻覚の中であり、もう二度と外に出られないのではないかと感じた。僕は揺れる光を眺めながら自分を探した。だがそこに僕は見当たらなかった。

やけに冷えた風がシャツの隙間から肌を締め付けた。僕はもう一度歩き始めた。

気づくと水天宮前駅辺りにいた。森下とは変わり、江戸の香りを残した繁華街は色っぽく艶やかだが、モノトーンに僕の目には映った。直帰を躊躇うサラリーマンにお酌する割烹着姿の女将さんや、敷居が高すぎて奥が見えない寿司屋は、さながら昭和映画のワンシーンの様だった。男なら山葵は醤油に溶かすんじゃなくてネタに乗せて食べるんだ、と書き残した池波正太郎の男の作法を思い出した。初めて読んだときは、理屈臭い変な話だと思ったが、こんな場所ではきっと山葵はネタに乗せて手で食べたいと思う。夜風がさっきとは違い、出汁の香りの含んで僕の周りをウロウロとする。行き交う人はそれぞれの目的の為に足を進めていた。

しばらくして新しく同居している友人から連絡が来た。「今日は鍋を作ろうと思うけど、お前も食べるか?」

僕はポケットに携帯をしまい込み、妙に暖かい風を背に受けながら駅の階段を駆け下りた。

 

追伸

人は島嶼にあらず。たとえどれだけの孤独を求めたとしてもこの世界から完全に乖離する事はできはしないのだろう。

 

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分岐

二つの道が目の前にある。

一方はおっとりとした4月の始まりのような空気に包まれている。黄緑色の若葉は光を反射させ、穏やかな風は草木を少しだけ揺らしては収まり、それを繰り返している。

一方は安定を知らない曇り空が広がり、雨に晒されたグラウンドのような、じっとりとした世界が続いている。油断すると水溜りに足を奪われ、せっかく整えた前髪も湿った風に乱される。だがその世界では時々、平然とした表情の太陽が顔を覗かせて、辺り一面を暖かく包み込む。

心配ないよと。

 

差し詰め今はこのような分岐を前にしている。

先に進んだ友人は戻って来なかった。

来た道を振り返るが、後ろにもう道は無くなっていた。

助けを求めたいがもう周りには誰もいない。

グラスの中の氷が溶けてしまうように、路上に咲く花が枯れゆくように、いつかは消え、そこに存在した事すら忘れられていく。

 

「良い山椒と酢橘を頂いたの」

と彼女は言った。少し照れ臭そうに目を合わせたり外らせたりする。

「何か作って、お腹が空いたわ」

微笑みながら僕を見つめる。

 

 

 

僕は困ってしまった。

 

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someone to watch over me/Keith Jarrett

 

2020年5月1日

生暖かい風、花の匂い、

花たちは若葉を輝かせながら、

季節はしっとりとこの平穏な日々を見守る。

いつもなら初夏の兆しに心躍らせ、

スチャダラパーサマージャム'95でも

フライングして聴き始めるのだが、

今年はそうもいかない。

 

当たり前のように昼夜は逆転し、

風を浴びるカーテンを横目に

黙々と時間が過ぎる。

 

偏った食生活に

コロナよりコロナになるんじゃないか

なんて考えてしまう。

今更体調管理をどうのこうのなんてまるで、

怠け者の節句働きである。

健康法なんて考えないことがいちばんの

健康法だと岡本太郎も言ってたではないか。

 

テレビやSNSでは人々がこぞって

リーダーの対応を糾弾しているが

僕にはそんな気力は無い。

そもそも数年前に彼を選出したのは

我々なのだから、コウモリでも

吊し上げた方が余程理に

かなってるのではないだろうか。

現状信じて待つ以外に今我々一般市民に

出来ることは無いのだから、そんな気力は

もっと有意義に使えばいいのである。

老後の予行演習だなんてある人は言っていたが

全くその通りだ。

心地よい春風を浴びながら

趣味に没頭できる時間は滅多にないのに、

なぜ悪戦苦闘しながらも

職務を全うしようとしている人に

罵詈雑言を浴びせ吊し上げようとするのか。

実に退屈で惨めな光景である。

そんなに情勢を変えたければ

自らが政治家になる事を推奨する。

それが1番手っ取り早いからだ。

 

 

気づけば正午を回っている。

今日は昨日聞いていたDJ MURO

KING OF DIGGINで選曲されていた

アーティストを深掘り、

それから日課の筋トレをして、

夜はマイリストに溜まった映画を

酒のアテに有意義な時間を過ごす予定だ。

 

 

ご存知の通り精神と時の部屋

そうそう入れる所ではない。

長く枯渇だと思う人もいるだろう。しかし

逆手にとれば時間を持て余せているのだ。

 

無事に今を迎えれている事、

最前線で戦う方々への感謝を忘れず、

限られた空間で踊り明かそうではないか。

楽しんで無駄にした時間は、無駄じゃない。

 

今を生きよう。

 

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人生は日に日に

素晴らしいものになっていくんだよ

/ジョンレノン

 

 

 

 

夢見る少女じゃいられない

小学生の自分は、20歳の自分宛に

書いた手紙に

今はサッカー選手になってるの?

と綴っていた。

 

すまないけど、サッカーは中学までしか

やってない。

 

 

今自分が全うしているつもりの仕事であったり

生き方を見たときランドセルを背負った僕は

どう思うのだろうか。

 

少なくとも胸を張って今の自分という生き様を

話す事はできないだろう。

それはサッカー選手になれなかった事が訳ではなく、

今の僕は何もなし得てないからである。

 

18歳で故郷を飛び出し、都会で生活を始めて、

上京すれば自然と何かを感じ得て勝手に成長

するんだろうと、学ぶ事を軽視していた。

だから思い返せば、この1年で自分は”なにが

成長したのか”をハッキリと声にする事は

できない。

おそらく、東京で生きている自分であったり、

名門ブランドで仕事をしている自分に

酔っていたのだ。

よく考えれば自分1人で出来ることなんてなにもないのに。

ブランドの看板を下ろした時、SNSをやめた時、社会的に僕という人間の価値は

なにも残らない。

 

断っておくが、別にナーバスになってるわけではない。

三者目線で自己分析をした結果である。

 

人は音楽やらファッションやらの、

いわゆるサブカル的な面での知識量に

評価をしてくれる事はあるが、それは

ただの”趣味"に過ぎなくて、

それは僕ではなくても他の何かからでも

得ることはできるものなのである。

 

そう考えた時現状を打開するには

”唯一無二の個人”にならなければならない。

それは、自分の為でもあり、家族や、

自分を良く見てくれている人の為にだ。

 

東京という街に来た意味と

自分にしかできない何かというのを

きちんと加味した上で

見つめ直さないといけない。

 

 

大学に行かず専門学校へ行き、なのに

その専門職にもつかないという、

崖っぷち綱渡りコースを選んだ宿命であり

普通に生きていても、それはやや下り坂

を進んでいるだけであって、

道を変えなければ

頂上にたどり着く事は

物理的に不可能なのである。

やれるかわからないとかやるべきなのかとか

そんな迷走していてはこの樹海すらも

抜け出す事はできないのだ。

 

金銭、人脈、知識、それら

目をそらす事はできない現実を、

睨みつけて生きていかなければならない。

 

 

夢見る少女じゃいられないよ。

 

 

 

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無題

今回は今まで以上に支離滅裂でまとまりがないかもしれないがご容赦願いたい。

 

目の前に昔ながらのダイヤル式黒電話がある。

これだけ聞くとレトロな面影を残した街の

茶店だったり、地域密着型の内科とか、

田舎のおばあちゃんちを

想像するかもしれないが、

残念ながらここは

渋谷の上島珈琲店である。

駅からほんの少し

離れたところにあるが故に

馬鹿みたいに混雑することはない。

また繁華街とも離れた所にあるから、

メラニン色素に別れを告げた学生の集団に

頭を悩まされることもないのである。

 

今回の記事は題名の通りである。

”型に縛られず自由に”。

(決して題材が決まらなかったわけでは、ない、はず、、)

 

 

 

10連休というフルマラソンを無事乗り越え、

ようやく息が落ち着いてきた。

とは言うものの、想像していたよりずっと忙しい事はなく、休憩中に先輩と公園で遊べるくらいに元気だった。

てか最近の高校生は制服の上にギャルソン着て

GUCCIのベルトつけてるのか...

 

 

話を戻すが、10連休中に来た顧客さんに

疑問に思ってたことを聞いた。 

「10連休もして大丈夫なんですか?会社潰れないんですか?」

これはかなり疑問だった。

10日間稼働しないという事は10日分の仕事は?とか、一般企業の仕組みが

全くわからないが故に、

そんなアバウトな若年的質問を

投げつけると

「10日も休まないよ、そんな事したら

会社潰れちゃうよ」

と、綺麗に打球はセンター前に打ち返された。

「そりゃそうですよね...」

 

 

確かにちゃんと社会人として迎えたGWは

初であった。(昨年は途方に暮れていたため)

世田谷区民はおおよそ

日本からいなくなっているか

山や海にベンツを走らせていたのだろう。

思った以上に街に人がいないGWにより

人生初のGW出勤は意外と安易に終わった。

 

 

もし自分に10連休があったらなにをするか

考えてみた。

やりたい事、行きたい場所、食べたい物、

欲しい物、7つの大罪のごとく様々な欲が

脳内でひしめき合った。

もし僕がカトリック教徒であれば

この歳まで生きていないかもしれない。

 

小1時間ほどの休憩をそれに費やし、

ありもしない風景に手元の電子機器から

フライアウェイした。

その時に気がついた。

もし10連休なんてものがあるなら

10日間、電子機器の電源をオフにして

お金とカメラと少しの着替えを持ち、

10日間限定アドレスホッパーの旅に出たい。

定住しない生活は今とは真逆の人生が故に

少し憧れがあった。

そしてそれをするなら今触っている

こんなものは必要ないのだ。

理由は長くなるので割愛する。

 

 

行き先の予定もなく

ただひたすらに赴くまま歩き、

型に縛られず自由に直感で道が決まる

泊まるところも食べるものも

行き当たりばったり

色んな人に出会えるかもしれない。

なんと幸せなんだろうか。

考えただけで3連単が的中したような、

1回転でBIGひいたような、

そんな気分だ。

 

 

 

 

だがおそらく、

それが叶う日は来ないんだろうな笑

 

働け日本人。

 

 

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僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって
ひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになった
ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること
みっつめは車の免許とってもいいかな
なんて思っていること

 

ハイウェイ/くるり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自由とバラ

友人は多い方だと思う。

良くも悪くも八方美人な性分であり、

自分を好いてくれる人はぼちぼち多く

その人達を嫌うことはそうそう無い。

故に友人と呼べる人物は多くいる方だと自負している。

 

そう、たまには友達の話をしよう。

 

 

とりわけその中でも、

居候のごとく 我が家にいる友人がいる。

極度の方向音痴に恐ろしい寝言を話す

大阪生まれ大阪育ちの生粋の関西人で、

食べログオタクである。(おそらくこの記事を見られる)

彼の寝言に関しては、それのせいで

寝れなくなった夜は片手では

数え切れないほどである。

 

出会ってすでに3年ほどだろうか、

大阪の専門に入学して同じクラスになった。

おそらくだが、クラスで1番友達に

なりたくない奴だった。

真っ白に近い金髪に、コテコテの関西弁で

ハッキリした物言いをする、

絵に描いたような関西人で

広島育ちの僕は馴染みのなさ故に

少々軽蔑していたのだろう。

だがなぜか、入学して3ヶ月もした頃には

サシで飯に行くようになった。

“波長が合う”という言葉があるが

まさにそれである。

 

初めてサシで行ったのは

京橋の洒落っけのあるパブだった。

そこで彼の家族の事や地元の友達の話や

将来の夢などを聞いた。

彼は見た目からは想像もつかない程

しっかりしていて、

僕は彼の人間性に興味が湧いた。

そして自分と似ていると感じた。

彼も僕の事を色々聞いてくれ、

僕も愛している地元の話を

関西人顔負けの口数で語り続けた。

人を見た目で判断してはいけない

小学校で習いそうな言葉だが

その言葉を再認識するいい機会になった。

 

その日から彼との関係は常住不断で

続いている。

飯時も放課後も休日も、

側から見ればいわゆる”ニコイチ”である。

美容学校では、写真のコンテストや

ヘアショーなど多くのイベントがあるのだが、

そのほとんどを共闘した。

 

2年の専門時代を経て上京してきた今も、

美容という道に区切りをつけ

服飾の世界に足を踏み入れた僕の後を

追うように(追ってはいないだろうが)

彼も服飾の道に進路を変えた。

運命共同体かよなんて、

そんな話がアルコールのアテになるぐらいだ。

 

大体は仕事に対するアツい話や女子顔負けの

恋愛話に花を咲かせる。

それは、場所を選ばず

時には公園で、時にはガストで、

朝から仕事でも関係なく2時3時になっても

話が尽きるまで帰ろうとはならない。

 

これからも続けていきたい。

京橋で語った夢とは違う方向に進んでいるが

どんな道も彼がいれば面白い出来事で

溢れるはずだろう。おそらく。

 

 

安酒を片手に

大好きな曲をかけて、

見えない将来の話でもしながら。

 

 

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グラスかたむけ  なつかしむ
そんな時代も  あったねと
笑う背中が  ゆれている
夢はすてたと 言わないで
他にあてなき 2人なのに

 

浅草キッド/ビートたけし